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2020年10月 3日 (土)

第100話 バッカス礼賛 ー酒が人を創るときー

第100話 バッカス礼賛 ー酒が人を創るときー

 

その頃は柳原良平さんが描く「トリスを飲んでHawaiiに行こう!」の時代だった。

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あるとき大学の中を久しぶりに歩いていたら、「カクテル教室 授業料100円 飲み放題」と書かれたポスターを電信柱で見つけた。教育学部や法学部の昼間の空き教室を使って開催するとの大学生協の案内であった。「100円で飲み放題」に惹かれて、さっそく申し込んだ。注意していると2回目のポスターがまた貼ってあった。また申し込んだ。結局3回行われた。3回目の「カクテル教室」の終わり頃になってバーテンダー先生が「私の店に来ないか」と言い出した。ただ一人の皆勤賞だったのである。

その店は名古屋の繁華街にある大きなビルの地下にあり、「サントリーバー本店」と言った。寿屋(現サントリー)直営のサントリーバーは名古屋のこの店と東京の新橋にある店だけと、あとで聞いた。変わった店だった。表通りから階段を降りて重い木のドアを開けると、分厚い木の長いカウンターがあり、多くの客が止まり木に並んで飲んでいた。大きな店ではなかったのだが、カウンターの向こうにはいつもバーテンダーが少なくとも3人はいた。

開店は夕方の5時。夜9時になったらもう閉める。原則として女性は店に入れない。気に入らない客は追い出す。「お前は学生だから金は要らない。稼ぐようになったら払えばいい」などと言われ、ヨット部合宿の帰りとか、座って本を読むだけでもせっせと通った。お酒の飲み方、お酒のウンチクも教えてもらった。となりのお客はすべて人生のベテランに見える紳士たちばかりであった。若いお客はおらず、セイルバッグを担いだ乞食スタイルの学生でこの店に入り浸っていたのは、なぜか気が合った同じヨット部仲間の篠田和俊君の二人だけだった。

ハイボールなどを勝手に飲ませてもらっていると、カウンターの向こうのチーフバーテンダーの森由泰造さんも話に加わり、隣に座ったお客と議論し、笑い、そしていろいろなことを知った。年に一度は馴染みのお客が集まり、寿屋の山崎工場などへの飲んだくれのバス旅行や、おいしい料理とお酒が出てくる海辺のキャンプなどをして楽しんだ。顔は覚えていても、しかしその人の名前や年齢、職業などは知らなくてもいい世界だった。あとから思うと地元のそうそうたる人たちがいたことは確かである。

 チーフバーテンダーの森由泰造さんとの出会いから始まって30年近くの間に生まれた飲み仲間の人たちとのつながりは、思いがけないやり方であちらこちらで芽を出した。たとえば世界初の放射線画像解析システム「バイオイメージ・アナライザー」を開発し、おそるおそる国際展示会「バイオフェア」に出展したときのことである。基礎生物学研究所の江口教授が我々のブースに来て下さったとの連絡が入った。バイオサイエンス分野で世界的に著名なあの大先生がこのシステムに注目して下さったかといたく感激した。しかしよくよく話を聞いてみると、その先生は「ゴローちゃん」と呼んでいた止まり木仲間の江口吾郎先生であって、私の消息を森由さんから聞いて、わざわざ訪ねてきて下さったのであった。

 

その森由さんの店は場所も移り、また名前も「酒肆 蘭燈」(しゅし らんたん)と変わった。しかし雰囲気は昔のままだ。それを味わいたくて出張の帰りに立ち寄り、あわただしく飲んで最終の新幹線に飛び乗って帰る。時には最終便に乗り遅れ、また戻って再会を祝し、乾杯をしたりする。そんなこともたびたびだった。

今や日本バーテンダー協会の重鎮となり、若いバーテンダーを育て、ある大学の何とか講座の講師をもしている森由さんは「名古屋の夜の帝王」と呼ばれているらしい。彼は私に、ヒトの現実の世界には、論理が支配しがちな「昼間の世界」の他に、情緒だとか信頼感とか人間くさい非論理的なコトが支配している「夜の世界」が別にあるよと教えてくれた人生の恩人であると心ひそかに感謝している。

 

酒肆「蘭燈」店主 森由泰造さんの言葉

筆無精な私などにまたしても厄介なことを言う人である。一口に彼は夢多い人で中途半端ではない。それでいてロマンチックで美食家でもある。人の退職金を当て込んでヨットで世界一周も考えているとか。飲めば世界も小さくなってくる。きっと会社での仕事も遊び心から楽しんでやっているのではなかろうか。そんな彼が来るとなれば、小さい飲み屋も活気づくから面白い。

 

愛知県庁役人 篠田和俊君のことば

彼のイメージとしては、「取り憑く」というという言葉が浮かびますね。名古屋時代飲み屋通いの頃、バーテンダーの森由に彼が取り憑き、以来20数年彼は森由に迷惑を掛けっぱなし。たとえば「常滑のヨットハーバーで泊まる。送ってくれ」との一言で往復60kmを深夜に送る羽目になり、代金はもちろん森由持ち。私たちにとってはそう言う人物ですが、彼が来るとなると迷惑のようなうれしいような気持ちでその夜を待っています。

 

本人のことば

これほどまでに周囲に迷惑を掛けていたのかと恐縮しています。また年月はごらんのように店主と役人に期待ほどの髪を残してくれず、これが新たな対立を生むのではないかと心を痛めております。

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以上の話は今から30年ほど前に依頼されて書いた社内報の「社外交遊録」コラムの記事である。話に出てくる3人はすでに鬼籍に入ってしまった。そうではあるのだが、ご無沙汰しているだけであって行けばいつでも会えると思っている自分がいる。江戸時代の平田篤胤(あつたね)は「死者は黄泉の国へ行ってしまうではなく、目に見える生者の世界のすぐとなりに目に見えない死者霊魂の世界があり、この世界は生者だけのものではなく、死者の世界でもある」と言っているそうだ。たしかに、うつつの世界では会えないと頭ではわかっていても、しかし亡くなった方は消え去ったのではなく、すぐとなりにいるような感じがするのだ。年齢を重ねて生きると言うことは、そういうことを身体で感じることなのかもしれない。

 

その後の話を書いておこう。

バーテンダーの森由泰造さんは、

越前にある古いお寺の息子と聞いたことがある。互いに家族同士の付き合いをしたり、日本バーテンダー協会の総会パーティに連れて行ってもらったり、出張先の知らない町で泊まるときなどは長距離電話を掛けてその町のバーを紹介してもらったりした仲なのだが、生まれた年も知らないし、なぜバーテンダーになったのかなどとの余計なことも聞かなかった。2015年6月に病気で亡くなったのだが、今なお彼の名前がネットに登場している。会いに行こうかなと思えるので不思議である。酒肆「蘭燈」の店主は幼かった息子の元(つかさ)君が立派に成長して、継いでくれた。

 

愛知県庁役人の篠田和俊君は、

800年続く神社の神主の息子であった。話を聞くと、奥州平泉で源頼朝軍と戦っていた義経を助けようと紀州から馳せ参じていたご先祖が、挙母の地に至って義経の死を知り、そこに居ついて神社を建てたという。だが彼は神主にならずに県の役人になった。そして広大な敷地の中の立派な愛知県立陶磁美術館館長を最後に引退した。陶磁器に造詣が深かった彼も本望だったに違いない。その後、難病にかかり長い闘病生活のあと2020年5月に亡くなった。頭は最後まで冴えていたのに、身体が言うことを聞かなくなっていた。

 

発生生物学の世界的権威だった江口吾郎先生は、

基礎生物学研究所から熊本大学学長に招聘されて、その地で奥様と一緒に実に楽しくお暮らしになったようだ。熊本を訪問した時に酒席を持って、“あの頃”を話題に久しぶりに酒を酌み交わしたことを懐かしく思い出す。奥様は2007年に熊本で、「ゴローちゃん」は2019年4月に名古屋の自宅で亡くなられた。

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