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2020年10月 3日 (土)

第99話 スピットファイヤに会えた!

 
第99話 スピットファイヤに会えた!

イギリスの空には今でもイギリス人が誇りにしている第2次大戦中の戦闘機スピットファイアの実物が何機も飛んでいる。スピットファイアの操縦を習う航空学校もあるほどだ。その中の “シルバー・スピットファイア”と愛称される一機が、2019年に世界一周する計画があり、秋に日本にもやってくると友人から連絡が入った。茨城県の龍ケ崎飛行場に何日間か駐機するらしいこともわかった。会えるチャンスはその時だ。龍ケ崎飛行場に行って面会できる場所にアクセスするにはどうするか、計画を妄想するようになった。

実は2018年の年末にフランスのツールーズ近くの南仏の村の教会で行われた親戚の娘の結婚式に出席した時に、フランス航空産業の中心都市でもあるツールーズの航空博物館に寄ってきた。フランス自慢のコンコルドの展示は当然だとしても、イギリス空軍を代表する戦闘機スピットファイアも必ずあるはずと思い込んでいた。市内電車を乗り継いで苦労してたどり着いた航空博物館には、敵国ドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミットBf109の実物は展示されていたのだが、イギリス空軍のスピットファイアの実物展示は無く、小さな模型がガラス箱の中に置いてあっただけだった。仕方なくミュージアムショップでスピットファイヤが描かれているTシャツを見つけ出し買ってきた。その、あこがれのスピットファイアの本物の方から日本にやって来るのだ。

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スピットファイアは基本的には第2次大戦中のBattle of Britainに特化された局地戦闘機である。英仏海峡の上空でドイツ空軍機を迎え討てばいい。だから同世代ではあるけれども、支援戦闘機である日本のゼロ戦よりも航続距離が極端に短い。余裕を見れば600km程度だろう。従って世界一周飛行でもあちこち短い距離を飛んで着陸してまた飛ぶという行程を繰り返し、天候が悪化すると天候待ちをする。日本に来る日は9月になるのだろうが、いつになるのかは、その時になってみないとわからない。

 2019年8月5日にイギリスのChichesterのGoodwood空港を出発してからは、世界一周プロジェクトのホームページを開いて、今日はどこに行っているのか追い掛ける日々が続いた。日本の9月は台風シーズンである。案の定、台風が次から次へとやって来る。9月7日にアラスカからベーリング海峡を越えてシベリアに渡ったスピットファイアは、そのあと動けなくなった。

 関東地方に上陸した中では史上最強という台風15号が9月9日にやって来た。そのあともすぐに16号、17号と続いた。“シルバー・スピットファイア”はずっと極東ロシアに止まったままであったが、台風18号が沖縄に近づいた9月21日になってやっとユジノサハリンスクから新千歳空港経由で予定になかった花巻空港に飛んできた。が、そこでまた動かなくなった。「まだ花巻にいる」というネット情報が流れる日が続いた。支援機のピラタス12はすぐに仙台空港に移動したのだが、スピットファイアだけは花巻空港に結局20日間も駐機していた。日本のオタクたちやモノ好きは待ちきれずに花巻空港の垣根越しに遠くから写真を撮りに行ったらしい。ネットにその写真がアップロードされるようになった。

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上の写真は晴れた日の花巻空港のエプロンに駐機していたところに夕立が降ったようで、撮影者は気がつかなかったと思うが、コンクリートの上にスピットファイヤの独特の楕円の主翼の形が濡れないまま白く(つまりネガ像として)残っている瞬間を撮っためずらしい写真である。この場合は雨粒が画像形成を担っていたことになる。もしもエプロンが雨で全面濡れたところにスピットファイアが駐機していて、そのあと晴れて太陽の光が強烈に当たると、今度は逆に太陽光が当たったところは乾いて白くなり、主翼の影になったところはエプロンの上に濡れた状態で残って黒く(つまりポジ像として)見える瞬間があるはずだ。この場合は太陽光が画像形成を担っていということになる。このような自然の中にある画像形成のおもしろい現象は注意していると観察されるものだが(参考:第22、23話「ネガとポジの話」)、興味を持つのは私だけなのかもしれない。

 

 花巻空港に20日間も駐機している間に予定が急遽変更され、龍ケ崎飛行場には寄らず名古屋空港に飛び、「あいち航空ミュージアム」で “シルバー・スピットファイア”が一般公開されることになった。しかし花巻空港から名古屋空港に移った直後の10月12日には巨大台風19号が伊豆半島に上陸して東日本に大雨・洪水の大被害を及ぼした。新聞・テレビは台風被害の番組ばかりを報道していた。翌日の13日は台風一過の快晴になり、名古屋に行こうとJRの駅に行ったのだが、新幹線は動いていない。しかし翌日14日の朝一番の新幹線指定券は買えた。

 スピットファイアーに会える日は、大人げないとは思ったのだが、歓迎の意を表そうとツールーズの航空博物館で手に入れたスピットファイヤTシャツをこっそりと中に着て出かけることにした。名古屋駅前のバス停から乗って「あいち航空ミュージアム」バス停で降りたところ、人の行列が道路から階段を上ってミュージアム入口まで延々と100m以上は続いている。わざわざスピットファイアを見に来るオタクは少ないと思っていたのだが、これには驚いた。チケット売り場まで30分はたっぷりかかったと思う。入ったところが2階で、スピットファイアと随伴機の“ピラタス12”が見下ろせた。やっと会えた。

3spit-fire

今回の世界一周には2人のパイロットが選ばれている。はっきりとわからなかったのだが、操縦席はタンデムの複座になっていて交代で操縦していたのかもしれない。改造したのか、もともと練習機タイプだったのかわからなかった。スピットファイアは第二次大戦の主要戦闘機にもかかわらず翼の一部はなお羽布張りであったことを知っていたので、機体のまわりを見て回った。たしかに垂直尾翼と水平尾翼の後縁部分にある方向舵とそのタブは羽布張りであった。世界一周の飛行で一緒に飛んできた支援機“ピラタスPC12”の写真も載せておこう。ピラタス社はスイスの小さな航空会社で、アメリカのセスナ社を抑えて世界の単発ターボプロップ機市場をほぼ独占している立派な会社である。

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最終的に、この世界一周飛行は2019年8月5日イギリスのChichesterのGoodwood空港を出発し、西回りで地球を一周し、10月5日に出発地に戻るという飛行になった。寄港地を追ってまとめると次のような表になる。母国英国を含めて、22カ国・70空港・119日もかかっている。アラスカを除いてヒコーキ王国のアメリカにはさすがに16空港も着陸し、滞在日数も17日だ。日本では名古屋空港の“シルバー・スピットファイア”の一般公開のあと、鹿児島空港、那覇空港と飛び、台湾の台中空港に飛ぶ10月23日まで5空港で32日間も滞在したことになる。最も長期間滞在した国となった。

それだけで何となくうれしいのは、スピットファイア・オタクの証なのかもしれない。

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