« 2020年2月 | トップページ

2020年10月

2020年10月22日 (木)

【これまでの話の一覧】

【これまでの話の一覧】

 

【話の探し方】 下記の特定の話を探すには、話のタイトル (例えば「 第32話:吾が愛しのF104 」など) をコピーし、Googleなどの検索欄にペーストして検索にかければ出てきます。

第101話:マイ・ウォッチ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2020.10.22

第100話:バッカス礼賛 ー酒が人を創るときー  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2020.10.3

第99話:スピットファイヤに会えた!  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2020.10.3.

第98話:「方丈雑記」 心筋梗塞入院記  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2020.2.20

第97話:我が家の最初のクルマ v.1 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2020.1.3

第96話:「小田原宿」の前に「をたわら宿」があったのか v.1 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2019.6.2.

第95話:白内障の話 その2 モネと白内障 v3.0・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2017.6.28
第94話:白内障の話 その1 私と白内障 v.3.0 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2017.6.27

第93話:私のチェルノブイリ、そしてフクシマ  その2・・・・・・・・・・・・・2016.9.2
第92話:私のチェルノブイリ、そしてフクシマ  その1・・・・・・・・・・・・・2016.9.1

第91話:「黒い雨」の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2016.8.6
第90話:生きていた!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2016.3.14
第89話:本庄季郎さんの「とんぼの実験」の話・・・・・・・・・・・2016.03.08
第88話:右利きの光・左利きの光・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.11.28

第87話:久所のむかし話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.10.15
第86話:久所の始まり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.09.20

第85話:「感性」との言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.09.18
第84話:商品の「感性」とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.09.17

第83話:ナマコは海中資源か 海底資源か ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.04.05

第82話:超未来の話 その4 超未来までの「対数人類史図」を描く・・・・・・・・・2014.01.03
第81話:超未来の話 その3 近未来までの「対数人類史図」を描く・・・・・・・・・2014.01.02
第80話:超未来の話 その2 超過去からの「対数人類史図」を描く・・・・・・・・・2013.12.29
第79話:超未来の話 その1 今、我々はどこにいるのか・・・・・・・・・・・・・・2013.12.24

第78話:右撚りと左よりの話 その2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2013.08.11
第77話:右撚りと左よりの話 その1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2013.08.06

第76話:右舷と左舷の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2013.07.28
第75話:“スピットファイア”を見つけた!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2013.0.7.03
第74話:ジェット旅客機はなぜ背面飛行したのか?・・・・・・・・・・・・・・・・ 2013.03.15

<絵画が科学と出会った頃>
第73話:絵画が科学と出会った頃 その2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2013.03.07
第72話:絵画が科学と出会った頃 その1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2013.03.06

第71話:特許の係争は“事件”なのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2013.01.23

<ひらめきの瞬間>
第70話:ひらめきの瞬間 その3.道が開けた!・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2012.12.19
第69話:ひらめきの瞬間 その2.RPSスクリーンとは・・・・・・・・・・・・・・  2012.11.26
第68話:ひらめきの瞬間 その1.宮之浦川の体験・・・・・・・・・・・・・・・・  2012.11.11

第67話:電車の中で風はどう吹くか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.08.17
第66話:隔世遺伝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.08.17
第65話:投票立会人のお仕事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・2012.07.18
第64話:自治会長になったわけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.06.05

<アッという間の1年とは>
第63話:アッという間の1年とは (10)R子さんからの手紙・・・・・・・・・・・2012.05.29
第62話:アッと言う間の1年とは (9)新たな仮説・・・・・・・・・・・・・・・・2012.05.28
第61話:アッと言う間の1年とは (8)仮説は正しいのか・・・・・・・・・・・・・2012.05.17
第60話:アッと言う間の1年とは (7)初心に戻る・・・・・・・・・・・・・・・・2012.05.14
第59話:アッと言う間の1年とは (6)何が言えるのか・・・・・・・・・・・・・・2012.05.10
第58話:アッと言う間の1年とは (5)答を求める・・・・・・・・・・・・・・・・2012.05.70
第57話:アッと言う間の1年とは (4)仮説を創る・・・・・・・・・・・・・・・・2012.05.01
第56話:アッと言う間の1年とは (3)ヒトは対数で感じ取る・・・・・・・・・・・2012.04.25
第55話:アッと言う間の1年とは (2)思い込み・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.04.18
第54話:アッと言う間の1年とは (1)知りたい! ・・・・・・・・・・・・・・・2012.04.15

<何が変わったのか?>
第53話:何が変わったのか?(5)知識のモード ・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.03.31
第52話:何が変わったのか?(4)自然科学のモード その2・・・・・・・・・・・・2012.03.26
第51話:何が変わったのか?(4)自然科学のモード その1・・・・・・ ・・・・・2012.03.19
第50話:何が変わったのか?(3)願望のモード ・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.03.07
第49話:何が変わったのか?(2)モノ作りのモード ・・・・・・・・・・・・・・・2012.03.40
第48話:何が変わったのか?(1)変化のモード ・・・・・・・・・・・・・・・・・2012.03.01

<光と色と絵の話>
第47話:光と色と絵の話 (15)新たな明かりを求めて ・・・・・・・・・・・・・2012.01.26(改訂2012.7.23)
第46話:光と色と絵の話 (14)「白い光」を定義する ・・・・・・・・・・・・・2012.01.15
第45話:光と色と絵の話 (13)点描画法という革新 ・・・・・・・・・・・・・・2012.2.3(改訂 2012.7.22)
第44話:光と色と絵の話 (12)絵画が科学に出会った ・・・・・・・・・・・・・2012.01.27(改訂 2012.7.20)
第43話:光と色と絵の話 (11)モネの絵が変わった ・・・・・・・・・・・・・・2012.01.25(改訂 2012.7.19)
第42話:光と色と絵の話 (10)色はいろいろある ・・・・・・・・・・・・・・・2012.01.23
第41話:光と色と絵の話 (09)ニュートンは間違っている ・・・・・・・・・・・2012.01.22(改訂 2012.7.20)
第40話:光と色と絵の話 (08)最先端の国オランダ・・・・・・・・・・・・・・・2011.12.14
第39話:光と色と絵の話 (07)フェルメールの「白い光」・・・・・・・・・・・・2011.11.29
第38話 光と色と絵の話 (06)太陽の色々な光・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.11.24
第37話:光と色と絵の話 (05)「白い光」が見つかった ・・・・・・・・・・・・2011.11.17
第36話:光と色と絵の話 (04)光と影の画家たち ・・・・・・・・・・・・・・・2011.11.11
第35話:光と色と絵の話 (03)「白い光」の復活 ・・・・・・・・・・・・・・・2011.10.31(改訂2012.7.19)
第34話:光と色と絵の話 (02)“あるがまま”から“神のこころ”へ・・・・・・・2011.10.26
第33話:光と色と絵の話 (01)「白い光」は特別だ・・・・・・・・・・・・・・・2011.10.21

第32話:吾が愛しのF104 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.10.06
第31話:創造における人の論理と人の癖・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.10.05
第30話:「結び」のすすめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.09.23
第29話:地球温暖化の「二酸化炭素説」はどうも変だ・・・・・・・・・・・・・・・・2011.09.19
第28話:センチメンタル・ジャーニー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.09.16
第27話:放射能災難の中で暮らすには・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.08.30
第26話:ものごとの決め方の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.08.21
第25話:「五箇条の御誓文」は生きている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.08.09
第24話:“ひらめき”へのステップ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.08.04

<ネガとポジの話>
第23話:「ネガ」と「ポジ」の話 後編・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.29
第22話:「ネガ」と「ポジ」の話 前編・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.29

第21話:異聞「朝三暮四」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.25
第20話:”アベリン・パラドックス”の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20110.7.17
第19話:バーバリーだけが知っている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.16
第18話:反主流派として生きると言うことは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.16
第17話:けしからぬハイジャック・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.12
第16話:ホタルの光は何色かという話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.12

<急性肝炎 入院記>
第15話:急性肝炎 入院記(後編)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.08
第14話:急性肝炎 入院記(前編)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.08

第13話:「災難」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.06
第12話:温泉で宇宙を味わう話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.05
第11話:組織の中のシンドローム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.04
第10話:光はとても大切だという話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.03
第09話:笑いの本質・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.02
第08話:娘に語ったあの夜の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.07.01

<ビールの泡の話>
第07話:ビールの泡は新幹線の中でどうなるかという話 v.2.0・・・・・・・・・・・2011.06.29
第06話:ビールの泡で宇宙からのメッセージがわかるだろうかという話 v.・・・・・・2011.06.30

第05話:女王陛下の船(HMS)と企業組織の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.06.29
第04話:アブダクション 創造の発端 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.06.28
第03話:電話を待ちながら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.06.28
第02話:平和が一番・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.06.28
第01話:誰がイノベーションを殺したの(マザーグースの唄)・・・・・・・・・・・・2011.06.28

第00話:なぜ書く気になったのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2011.06.27(2012.9.18)

 

 

 

 

 

第101話 マイ・ウォッチ

第101話 マイ・ウォッチ

 

時計の誕生日を知っているか

自分の腕時計が初めて動き始めた瞬間、つまり誕生日を知っている人も珍しいのではないかと思う。私の場合は10月18日だ。

 過日、実に細かな部品を6時間かけて組み上げ、機械式自動巻時計を作ってきた。これまで愛用してきたソーラー電波腕時計とくらべると、正確さからいえば段違いに悪いし、見目麗しさもそれほどでもないし、しかも重くなった。しかし長い年月にわたって先人たちが築き上げてきたあの「小宇宙」ともいうべき精密なからくり・メカニズムを直接に見て、さらに組み立てている最中に「テンプ」を取り付けて、「アンクル」と「がんぎ車」がうまくはまった途端に鼓動を始めたその感激は他に代えがたい体験となった。我が子と思う “マイ・ウォッチ”が誕生した瞬間だった。

これまで、高級機械式時計マニアたちを端から見ていて、何てばかばかしいこと、時計の本質は正確さだと冷ややかに見ていたのであるが、彼らの気持ちがわかるようになった。「トゥールヴィヨン」構造の意味や意義もわかり、それを装着した超高級時計の価値もわかるようになった。ほしいなとは思うけれども、自分の手で作り上げた我が子とは比べようがない。1_20201022172601

ブランド名は“GISHODO”(儀象堂)である。「儀象堂」というのは下諏訪町にある時計ミュージアムの名前であり、そこには北宋時代に作られた水時計「水運儀象台」が当時の設計図を元に再現されていて、実際に毎日動いている。世界で唯一のものだという。「儀象堂」とはその水時計にちなんで名づけられていて、作った時計は儀象堂とセイコーエプソンがコラボレートした作品ということになっている。ちなみにムーブメント自体はセイコーエプソン社の子会社となったオリエント時計製である。

「東洋のスイス」:時計の名産地

 なぜこんなことになったかというと、2ヶ月ほど前に間に気まぐれに富士川の河口にある静岡県埋蔵文化センターに寄ったときに、「星ヶ塔遺跡発見100周年記念シンポジウム」開催を予告するポスターをたまたま見つけたことに始まる。旧石器時代から弥生時代にかけてヒトが生きていく上では必須の刃物の原料であった黒曜石遺跡の発見話だ。長野県の下諏訪から和田峠にかけての地域は北海道の白滝、伊豆の神津島とならぶ黒曜石の日本の三大産地の一つである。黒曜石に関しては関心が深い方なので、さっそく主催者である下諏訪町教育委員会に電話したのだが、新コロナウィルス騒ぎの最中であったために、担当者は予定通り開催しますとは、はっきりは言わない。その代わりに「しもすわ今昔館 おいでや」には黒曜石に関するミュージアムがあると言う。調べたら、たしかに「星ヶ塔ミュージアム 矢の根や」との黒曜石ミュージアムがあった。

またそこには「儀象堂」という時計ミュージアムもあって、時計の組み立て実習もしていることも初めて知った。そう言えば諏訪湖周辺の地域は、昔は「東洋のスイス」などと自称していたほど地場産業として時計製造は有名であった。さっそくもっとも難度の高い6時間コースを申し込んだ。そして、2ヶ月後の10月に組み立て体験をすることになった。組み立て実習の前日は、GoToキャンペーンに便乗してふだんなら決して泊まらないような上諏訪温泉の和風旅館に泊まり、集合時間の朝九時に間に合わせることができた。組み立て終了も夕方になってしまうので、当日もまた奮発して蓼科のリゾートホテルに泊まることになった。

 

組み立て開始:細かくて参った

朝9時、スリッパに履き替え、白衣を着て組立室にはいる。マンツーマンの組み立て指導は2年前まで機械式時計の製造組立をやっていたというベテラン先生である。実際の時計の組立は無塵室状態で組み立てていると先生は言うのだが、今回はコロナ騒ぎのために、窓を開け外の風を入れている。大丈夫かな?と思うけれど、仕方がない。まずは工具の説明やら機構の説明やらをしてくれる。そうだったのかと気付かされる話も多々あった。4つの箱に入ったパーツは驚くほど小さい。部品とその組み立て手順は下記の通りだが、あらかじめ調整して検定する必要のある「香箱車」(こうばこくるま)や「テンプ・アンクル」などは組み立てられた1個のユニットになっている。それでも、とても小さい。

2_20201022172701

組立のために、目にはめ込んで使う拡大鏡や実体顕微鏡も用意されているのだが、初心者には拡大鏡の下で作業するのは要領を得なくて、自由にピンセットや時計ドライバーを操ることができず、とてもぎこちない。直接に目で見てやった方がやりやすい。しかし細かすぎる。

 歯車などの心棒は見たところ太さ0.2mm以下だろうなと思うほどの極細である。上から見るとピンセットの先が心棒を入れる細い穴をふさいでしまい、肝心なところが見えない。と言って真横から差し込もうとしても、遠近がとてもわかりにくくなってしまい穴に差し込めない。やっと穴に心棒を差し込んだあと小さな歯車をピンセットで上から押し込む。うまくいったかと、先生に診てもらったら心棒が折れているという。代わりの部品を使ってもらって助かった。長さが0.5mmほどしかないネジもある。細いピンセットでつかんでもピンセットに隠れてネジがどこにあるのか見えないのだ。つかみ方が悪くて勢いよく外れて机の上から飛び出し、床の上に落ちてしまった。先生も一緒に這いつくばって目を皿のようにして探す。ふだんならとっくにあきらめるのだが、先生は見つけ出した。さすがであった。

3_20201022172701

何といっても腕時計の心臓部は「テンプ・アンクル・がんぎ車」のシステムである。この部分で時計の精度が決まる。これまでに至るには長い歴史がある。「テンプ」はあのオランダの科学者「クリスチャン・ホイヘンス」が1675年に発明したという。彼は光の粒子説と波動説でニュートンと争った光の科学者である(参考:第37話 光と色と絵の話(5)白い光が見つかった)。「がんぎ車」と「アンクル」との画期的な組み合わせはイギリスのジョージ・グラハムが1715年に発明したそうだが、時計の歴史はなかなか複雑で実に多くの人たちが関わりあっている。その凝縮した心臓部が目の前にあった。

ここまでに香箱車・2番車・3番車・4番車、それにがんぎ車も取り付けられている。竜頭も取り付けてあって、香箱車の中のゼンマイは巻き上げられている。あとはアンクルが付けられているテンプのモジュールをセットするだけだ。そのテンプの太い部分をピンセットでつかむのだが、アンクルがブラブラと動き、止まらない。「まあ、ままよ」と見当を付けてテンプ軸受けにセットする。と、その瞬間にテンプが往復運動をし始めたのではないか。「あ、あッ」声を出したと思う。まさに心臓の動きにそっくり。生を受けた瞬間に思えた。感激である。

4_20201022172701

組み立て途中で、測定器にかけて時計の向きをいろいろと変えた状態で精度のチェックをする。一日15秒程度狂うのは許容範囲である。最後はサファイアガラスが付いたケースに入れ、クリスタルガラスの裏蓋を特殊な工具で締め付ける。本来は防水検査をするらしいのだが、その道具がないので検査なし。竜頭の軸にも裏蓋にもちゃんとゴムのOリングが入っていたから、まあいいか。防水は心配なので、手を洗うときは外そうと思う。手がかかるヤツだが仕方がない。最後の最後になって金属ベルトを取り付けて、お終い。先生からは第R2-18号と書かれた修了証書をありがたく頂いた。令和二年の18人目の修了者らしい。時計が動かなくなったら、連絡して下さいという。自分で組み立てたので、あやしいところはたくさん自覚している。動かなくなってしまうことも大ありだ。安心した。

 

出来の悪い子供はカワユイ

「出来の悪い子供ほどかわいい」とはよく言ったものだ。一日15秒ほどの狂いは覚悟するようになった。これまでのところ、1分狂うには2週間ほどかかりそうだ。季節の暑さ寒さによっても変わってくるだろうし、持ち方によっても変わってくるのだろう。面倒を見てあげる必要がある。遅れるのではなく進むようにしているらしいので、待ち合わせ時間に間に合わなかったという言い訳には使えない。

 それにしても狂うことを承知で使う時計とは、なんと人間的であろうか。一月経ったら何分進んでいるのだろう。楽しみである。 まったく手間がかからないソーラー電波腕時計はかわゆくない「モノ」になってしまった。

2020年10月 3日 (土)

第100話 バッカス礼賛 ー酒が人を創るときー

第100話 バッカス礼賛 ー酒が人を創るときー

 

その頃は柳原良平さんが描く「トリスを飲んでHawaiiに行こう!」の時代だった。

1_20201003134601

あるとき大学の中を久しぶりに歩いていたら、「カクテル教室 授業料100円 飲み放題」と書かれたポスターを電信柱で見つけた。教育学部や法学部の昼間の空き教室を使って開催するとの大学生協の案内であった。「100円で飲み放題」に惹かれて、さっそく申し込んだ。注意していると2回目のポスターがまた貼ってあった。また申し込んだ。結局3回行われた。3回目の「カクテル教室」の終わり頃になってバーテンダー先生が「私の店に来ないか」と言い出した。ただ一人の皆勤賞だったのである。

その店は名古屋の繁華街にある大きなビルの地下にあり、「サントリーバー本店」と言った。寿屋(現サントリー)直営のサントリーバーは名古屋のこの店と東京の新橋にある店だけと、あとで聞いた。変わった店だった。表通りから階段を降りて重い木のドアを開けると、分厚い木の長いカウンターがあり、多くの客が止まり木に並んで飲んでいた。大きな店ではなかったのだが、カウンターの向こうにはいつもバーテンダーが少なくとも3人はいた。

開店は夕方の5時。夜9時になったらもう閉める。原則として女性は店に入れない。気に入らない客は追い出す。「お前は学生だから金は要らない。稼ぐようになったら払えばいい」などと言われ、ヨット部合宿の帰りとか、座って本を読むだけでもせっせと通った。お酒の飲み方、お酒のウンチクも教えてもらった。となりのお客はすべて人生のベテランに見える紳士たちばかりであった。若いお客はおらず、セイルバッグを担いだ乞食スタイルの学生でこの店に入り浸っていたのは、なぜか気が合った同じヨット部仲間の篠田和俊君の二人だけだった。

ハイボールなどを勝手に飲ませてもらっていると、カウンターの向こうのチーフバーテンダーの森由泰造さんも話に加わり、隣に座ったお客と議論し、笑い、そしていろいろなことを知った。年に一度は馴染みのお客が集まり、寿屋の山崎工場などへの飲んだくれのバス旅行や、おいしい料理とお酒が出てくる海辺のキャンプなどをして楽しんだ。顔は覚えていても、しかしその人の名前や年齢、職業などは知らなくてもいい世界だった。あとから思うと地元のそうそうたる人たちがいたことは確かである。

 チーフバーテンダーの森由泰造さんとの出会いから始まって30年近くの間に生まれた飲み仲間の人たちとのつながりは、思いがけないやり方であちらこちらで芽を出した。たとえば世界初の放射線画像解析システム「バイオイメージ・アナライザー」を開発し、おそるおそる国際展示会「バイオフェア」に出展したときのことである。基礎生物学研究所の江口教授が我々のブースに来て下さったとの連絡が入った。バイオサイエンス分野で世界的に著名なあの大先生がこのシステムに注目して下さったかといたく感激した。しかしよくよく話を聞いてみると、その先生は「ゴローちゃん」と呼んでいた止まり木仲間の江口吾郎先生であって、私の消息を森由さんから聞いて、わざわざ訪ねてきて下さったのであった。

 

その森由さんの店は場所も移り、また名前も「酒肆 蘭燈」(しゅし らんたん)と変わった。しかし雰囲気は昔のままだ。それを味わいたくて出張の帰りに立ち寄り、あわただしく飲んで最終の新幹線に飛び乗って帰る。時には最終便に乗り遅れ、また戻って再会を祝し、乾杯をしたりする。そんなこともたびたびだった。

今や日本バーテンダー協会の重鎮となり、若いバーテンダーを育て、ある大学の何とか講座の講師をもしている森由さんは「名古屋の夜の帝王」と呼ばれているらしい。彼は私に、ヒトの現実の世界には、論理が支配しがちな「昼間の世界」の他に、情緒だとか信頼感とか人間くさい非論理的なコトが支配している「夜の世界」が別にあるよと教えてくれた人生の恩人であると心ひそかに感謝している。

 

酒肆「蘭燈」店主 森由泰造さんの言葉

筆無精な私などにまたしても厄介なことを言う人である。一口に彼は夢多い人で中途半端ではない。それでいてロマンチックで美食家でもある。人の退職金を当て込んでヨットで世界一周も考えているとか。飲めば世界も小さくなってくる。きっと会社での仕事も遊び心から楽しんでやっているのではなかろうか。そんな彼が来るとなれば、小さい飲み屋も活気づくから面白い。

 

愛知県庁役人 篠田和俊君のことば

彼のイメージとしては、「取り憑く」というという言葉が浮かびますね。名古屋時代飲み屋通いの頃、バーテンダーの森由に彼が取り憑き、以来20数年彼は森由に迷惑を掛けっぱなし。たとえば「常滑のヨットハーバーで泊まる。送ってくれ」との一言で往復60kmを深夜に送る羽目になり、代金はもちろん森由持ち。私たちにとってはそう言う人物ですが、彼が来るとなると迷惑のようなうれしいような気持ちでその夜を待っています。

 

本人のことば

これほどまでに周囲に迷惑を掛けていたのかと恐縮しています。また年月はごらんのように店主と役人に期待ほどの髪を残してくれず、これが新たな対立を生むのではないかと心を痛めております。

2_20201003134601

以上の話は今から30年ほど前に依頼されて書いた社内報の「社外交遊録」コラムの記事である。話に出てくる3人はすでに鬼籍に入ってしまった。そうではあるのだが、ご無沙汰しているだけであって行けばいつでも会えると思っている自分がいる。江戸時代の平田篤胤(あつたね)は「死者は黄泉の国へ行ってしまうではなく、目に見える生者の世界のすぐとなりに目に見えない死者霊魂の世界があり、この世界は生者だけのものではなく、死者の世界でもある」と言っているそうだ。たしかに、うつつの世界では会えないと頭ではわかっていても、しかし亡くなった方は消え去ったのではなく、すぐとなりにいるような感じがするのだ。年齢を重ねて生きると言うことは、そういうことを身体で感じることなのかもしれない。

 

その後の話を書いておこう。

バーテンダーの森由泰造さんは、

越前にある古いお寺の息子と聞いたことがある。互いに家族同士の付き合いをしたり、日本バーテンダー協会の総会パーティに連れて行ってもらったり、出張先の知らない町で泊まるときなどは長距離電話を掛けてその町のバーを紹介してもらったりした仲なのだが、生まれた年も知らないし、なぜバーテンダーになったのかなどとの余計なことも聞かなかった。2015年6月に病気で亡くなったのだが、今なお彼の名前がネットに登場している。会いに行こうかなと思えるので不思議である。酒肆「蘭燈」の店主は幼かった息子の元(つかさ)君が立派に成長して、継いでくれた。

 

愛知県庁役人の篠田和俊君は、

800年続く神社の神主の息子であった。話を聞くと、奥州平泉で源頼朝軍と戦っていた義経を助けようと紀州から馳せ参じていたご先祖が、挙母の地に至って義経の死を知り、そこに居ついて神社を建てたという。だが彼は神主にならずに県の役人になった。そして広大な敷地の中の立派な愛知県立陶磁美術館館長を最後に引退した。陶磁器に造詣が深かった彼も本望だったに違いない。その後、難病にかかり長い闘病生活のあと2020年5月に亡くなった。頭は最後まで冴えていたのに、身体が言うことを聞かなくなっていた。

 

発生生物学の世界的権威だった江口吾郎先生は、

基礎生物学研究所から熊本大学学長に招聘されて、その地で奥様と一緒に実に楽しくお暮らしになったようだ。熊本を訪問した時に酒席を持って、“あの頃”を話題に久しぶりに酒を酌み交わしたことを懐かしく思い出す。奥様は2007年に熊本で、「ゴローちゃん」は2019年4月に名古屋の自宅で亡くなられた。

第99話 スピットファイヤに会えた!

 
第99話 スピットファイヤに会えた!

イギリスの空には今でもイギリス人が誇りにしている第2次大戦中の戦闘機スピットファイアの実物が何機も飛んでいる。スピットファイアの操縦を習う航空学校もあるほどだ。その中の “シルバー・スピットファイア”と愛称される一機が、2019年に世界一周する計画があり、秋に日本にもやってくると友人から連絡が入った。茨城県の龍ケ崎飛行場に何日間か駐機するらしいこともわかった。会えるチャンスはその時だ。龍ケ崎飛行場に行って面会できる場所にアクセスするにはどうするか、計画を妄想するようになった。

実は2018年の年末にフランスのツールーズ近くの南仏の村の教会で行われた親戚の娘の結婚式に出席した時に、フランス航空産業の中心都市でもあるツールーズの航空博物館に寄ってきた。フランス自慢のコンコルドの展示は当然だとしても、イギリス空軍を代表する戦闘機スピットファイアも必ずあるはずと思い込んでいた。市内電車を乗り継いで苦労してたどり着いた航空博物館には、敵国ドイツ空軍の戦闘機メッサーシュミットBf109の実物は展示されていたのだが、イギリス空軍のスピットファイアの実物展示は無く、小さな模型がガラス箱の中に置いてあっただけだった。仕方なくミュージアムショップでスピットファイヤが描かれているTシャツを見つけ出し買ってきた。その、あこがれのスピットファイアの本物の方から日本にやって来るのだ。

1t

スピットファイアは基本的には第2次大戦中のBattle of Britainに特化された局地戦闘機である。英仏海峡の上空でドイツ空軍機を迎え討てばいい。だから同世代ではあるけれども、支援戦闘機である日本のゼロ戦よりも航続距離が極端に短い。余裕を見れば600km程度だろう。従って世界一周飛行でもあちこち短い距離を飛んで着陸してまた飛ぶという行程を繰り返し、天候が悪化すると天候待ちをする。日本に来る日は9月になるのだろうが、いつになるのかは、その時になってみないとわからない。

 2019年8月5日にイギリスのChichesterのGoodwood空港を出発してからは、世界一周プロジェクトのホームページを開いて、今日はどこに行っているのか追い掛ける日々が続いた。日本の9月は台風シーズンである。案の定、台風が次から次へとやって来る。9月7日にアラスカからベーリング海峡を越えてシベリアに渡ったスピットファイアは、そのあと動けなくなった。

 関東地方に上陸した中では史上最強という台風15号が9月9日にやって来た。そのあともすぐに16号、17号と続いた。“シルバー・スピットファイア”はずっと極東ロシアに止まったままであったが、台風18号が沖縄に近づいた9月21日になってやっとユジノサハリンスクから新千歳空港経由で予定になかった花巻空港に飛んできた。が、そこでまた動かなくなった。「まだ花巻にいる」というネット情報が流れる日が続いた。支援機のピラタス12はすぐに仙台空港に移動したのだが、スピットファイアだけは花巻空港に結局20日間も駐機していた。日本のオタクたちやモノ好きは待ちきれずに花巻空港の垣根越しに遠くから写真を撮りに行ったらしい。ネットにその写真がアップロードされるようになった。

2_20201003150801

上の写真は晴れた日の花巻空港のエプロンに駐機していたところに夕立が降ったようで、撮影者は気がつかなかったと思うが、コンクリートの上にスピットファイヤの独特の楕円の主翼の形が濡れないまま白く(つまりネガ像として)残っている瞬間を撮っためずらしい写真である。この場合は雨粒が画像形成を担っていたことになる。もしもエプロンが雨で全面濡れたところにスピットファイアが駐機していて、そのあと晴れて太陽の光が強烈に当たると、今度は逆に太陽光が当たったところは乾いて白くなり、主翼の影になったところはエプロンの上に濡れた状態で残って黒く(つまりポジ像として)見える瞬間があるはずだ。この場合は太陽光が画像形成を担っていということになる。このような自然の中にある画像形成のおもしろい現象は注意していると観察されるものだが(参考:第22、23話「ネガとポジの話」)、興味を持つのは私だけなのかもしれない。

 

 花巻空港に20日間も駐機している間に予定が急遽変更され、龍ケ崎飛行場には寄らず名古屋空港に飛び、「あいち航空ミュージアム」で “シルバー・スピットファイア”が一般公開されることになった。しかし花巻空港から名古屋空港に移った直後の10月12日には巨大台風19号が伊豆半島に上陸して東日本に大雨・洪水の大被害を及ぼした。新聞・テレビは台風被害の番組ばかりを報道していた。翌日の13日は台風一過の快晴になり、名古屋に行こうとJRの駅に行ったのだが、新幹線は動いていない。しかし翌日14日の朝一番の新幹線指定券は買えた。

 スピットファイアーに会える日は、大人げないとは思ったのだが、歓迎の意を表そうとツールーズの航空博物館で手に入れたスピットファイヤTシャツをこっそりと中に着て出かけることにした。名古屋駅前のバス停から乗って「あいち航空ミュージアム」バス停で降りたところ、人の行列が道路から階段を上ってミュージアム入口まで延々と100m以上は続いている。わざわざスピットファイアを見に来るオタクは少ないと思っていたのだが、これには驚いた。チケット売り場まで30分はたっぷりかかったと思う。入ったところが2階で、スピットファイアと随伴機の“ピラタス12”が見下ろせた。やっと会えた。

3spit-fire

今回の世界一周には2人のパイロットが選ばれている。はっきりとわからなかったのだが、操縦席はタンデムの複座になっていて交代で操縦していたのかもしれない。改造したのか、もともと練習機タイプだったのかわからなかった。スピットファイアは第二次大戦の主要戦闘機にもかかわらず翼の一部はなお羽布張りであったことを知っていたので、機体のまわりを見て回った。たしかに垂直尾翼と水平尾翼の後縁部分にある方向舵とそのタブは羽布張りであった。世界一周の飛行で一緒に飛んできた支援機“ピラタスPC12”の写真も載せておこう。ピラタス社はスイスの小さな航空会社で、アメリカのセスナ社を抑えて世界の単発ターボプロップ機市場をほぼ独占している立派な会社である。

4_20201003150801

5pilatus12

最終的に、この世界一周飛行は2019年8月5日イギリスのChichesterのGoodwood空港を出発し、西回りで地球を一周し、10月5日に出発地に戻るという飛行になった。寄港地を追ってまとめると次のような表になる。母国英国を含めて、22カ国・70空港・119日もかかっている。アラスカを除いてヒコーキ王国のアメリカにはさすがに16空港も着陸し、滞在日数も17日だ。日本では名古屋空港の“シルバー・スピットファイア”の一般公開のあと、鹿児島空港、那覇空港と飛び、台湾の台中空港に飛ぶ10月23日まで5空港で32日間も滞在したことになる。最も長期間滞在した国となった。

それだけで何となくうれしいのは、スピットファイア・オタクの証なのかもしれない。

6_20201003150801

« 2020年2月 | トップページ