« 第92話 私のチェルノブイリ、そしてフクシマ   その1 | トップページ | 第94話:白内障の話 その1 私と白内障 »

2016年9月 2日 (金)

第93話 私のチェルノブイリ、そしてフクシマ  その2

第93話 私のチェルノブイリ、そしてフクシマ  その2

 

3.フクシマ原発事故

チェルノブイリ原発事故から35年たった2011年3月11日に、大地震と大津波によってフクシマ原発事故が発生した。放射性降下物は原発周辺ばかりでなく、遠く離れた東京にもやって来ていた。

3月15日に東京の病院で撮影された医療用レントゲン写真画像に黒い点の出ていることが発見されたのだ。東京まで運ばれた放射性降下物が病院の中に入り、放射線室の中の私たちが開発した放射線画像センサー「イメージング・プレート」に付着し、放射された放射能を検出していた。放射性降下物による写真フィルムの品質故障であるGPS(Giant Black Spot)と同じ現象である。イメージング・プレートは自然環境放射能レベル以下をも検出するので、いち早く異常を検出したというわけだ。この事実はふつうの家の中まで放射性物質が入り込んでいるとの証拠となり、多くの人をパニックに陥れた。

4_20201004120701

 

すでに放射線とは無縁の日常生活を送っていたのだが、フクシマ原発事故には大いに関心を持って見ていた。しばらくして、昔のことを知っている知人から、地域の教育委員会協議会の研修会で校長先生はじめ、学校の先生達に放射能の話をするように頼まれた。フクシマ原発事故からまだ日が浅く、放射性降下物もこの地方に飛ばされてきていたこともあって、地域の人たちも放射能汚染パニックになっていたのである。先生達もどのように対処して良いのかわからなかったのかもしれない。

日本では、特に放射線や放射能の話は原爆などからの怖い話だけが伝わり、放射線の科学的な解説そのものについてはほとんど知らされていないのが現実である。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ではないが、放射線について少しでも理解してもらえれば、落ち着いて対処することもできると思い、、多数のスライドを作り、題して「身近な放射線の話」として講演した。以下はその時の要旨である。

 

 

<身近な放射線の話>

 

はじめに

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃がるる妙法にて候」。これは江戸時代の良寛さんが地震に遭った越後の友人にあてた手紙に書いた言葉です。

私たちの住む日本は変化のある四季がきっちりと巡り、時々起こる大雨・地震・台風・火事などの災難はすべて一過性のものでした。災難の起こった時がどん底であり、それ以降は頑張っていけば自分の世代の時間の中で何とかなってきたものです。しかし今回の3.11震災は一過性の従来の災難に加え、子孫代々までにおよぶ災難が加わっています。まだ収拾がつく見込みが立っていないフクシマ原発事故です。何とかしたくても何ともできない半減期の長い放射能による災難であり、このことが私たちの心の中に、これまでの災難と違って特別に重くのしかかっていると思います。

 

私たちは昔から放射線の中で暮らしてきた

とは言え、太陽の光や空気と同じように、私たちは原始の時代から放射線の中にどっぷり浸かって暮らしてきました。宇宙線や大地、建物の壁や床、身の回りにあるさまざまな品々から放射線はやってきますし、食物や空気中の放射性ガスから取り込んだ放射性同位元素が身体の中に存在していて、私たち自身が放射線源でもあります。それが常なのです。

私たちが暮らしている足柄平野はたまたま日本で最も自然環境放射線レベルの低い地域です。箱根山が太古に大噴火を起こした際に、放射性同位元素カリウム40の少ない火山灰を大量に降り積もらせたおかげです。日本の中には足柄平野よりも約5倍も高いレベルの地域があり、世界ではその数十倍もの高レベルの地域があります。人類はそのような環境で進化して来たのであり、そこで健康に暮らしてきました。だから放射線の中で暮らすこと自体に恐れを抱くことはありません。注意すべきことは、フクシマ原発事故で新たに加わった放射性物質が私たちの健康にこれまでと違った異変をもたらすのかどうかです。

 

5_20201004120701

 

基準はどのようにして決まってきたか

放射線の健康への影響に関する基準とその論理はすべて <しきい値なしの直線(LNT)仮説> が前提になっています。これは、大量の放射線を短時間に浴びても、微量な放射線を長時間浴びても、放射線を何度も間欠的に浴びても、その積算量が同じならば同じ影響を与えるという仮説です。放射線作業者や事故などで大量に一時的に浴びた場合は過去にデータがあり、この仮説は成り立つのですが、ふつうの市民のように何年もの長期間に微量に浴び続ける場合のデータはありません。だから大量被曝のデータをゼロに内挿して微量の場合を推定してきました。

6lnt_20201004120701

これらの基準を作った当事者たちは、「この仮定は正しくないかもしれないが、危険を過小評価する恐れはないことで満足している」(国際放射線防護委員会ICRP勧告1965)と 告白しています。この仮説は短期間に大量被曝の可能性がある放射線作業従事者に対する世界共通の管理基準として設定するには好都合でした。ある仮定のもとで数値としてきっちりと決めることが出来るからです。

一方、市民に対しては、根拠もなく放射線作業従事者の1/10に安全率を設定し、“市民生活をしていく中で危険を過小評価する恐れはない” としているものの、しかし 「1988年の自らの報告、それに基づいて作られている1990年のICRP勧告のリスク推定値は大きすぎる可能性がある」(国連科学委員会報告1994)と率直に認めています。この結果、低めに設定した基準は微量な環境放射線量の変化に対しても過剰なほどの市民の反応、つまりパニックを市民に起こさせる原因にもなっていることは確かです。その基準よりも少しでも大きいとリスクが大きい、危険だとのメッセージでもあるからです。

 

人には生体防御機構が働いている

長期間にわたる微量の放射線の被曝に関して、以前は「遺伝に影響する」とされていましたが、現在では「遺伝への影響は人では見つかっていない。遺伝的影響よりも“がん”である」(ICRP勧告1977) とされました。加えて「科学界は何年か前から、低線量の放射線を照射された細胞と生物は、放射線の影響に対して適応するような変化を起こすことに気がついていた」とし、さらには「従来の低線量放射線の確率的影響リスク推定値は、適応のような過程に対して何らの考慮も払われていなかったことから、誇張されすぎていたかもしれない」(国連科学委員会報告1994))と これまた率直に認めています。つまり現在の<しきい値なしの直線仮説>は微量の放射線の被曝に対しては間違いかもしれないというのです。

近年のバイオサイエンスの進展により、酸素代謝時に発生する活性酸素や放射線によるDNAの損傷とその修復メカニズムがわかってきました。障害が起こるかどうかはDNAの損傷速度と修復速度のバランスが影響すると考えた方が真実であり、微量の放射線を長期間浴びるような環境では修復機能の方が効果的に寄与していることがあるのでしょう。

 

おわりに

現在の足柄平野における空気中の放射線レベルは原発事故以前の自然放射線レベルとほとんど変わりません。注意するとしたら、原発事故直後にやってきて雨と共に地面にしみ込んだ放射性同位元素(主としてセシウム137)による呼吸や食物を通しておこる内部被曝でしょう。

 

とは言え、放射線の身体に対するリスクに関しては、あるレベルから危険で、あるレベルまでは安全という基準値はありません。多くの仮定から成り立っている リスク論/確率論 であって、不可避的な危険とどのように付き合っていくかとの個人の価値観の問題と思います。とても危険と考える人もいて当然です。リスクがあると思われる食材をまったく食べないことに心がける人もいるでしょう。

しかし私はそうすることによる健康への影響の方が大きいのではないか、食べたものが身体の外に排出される代謝半減期や生体防御機構を考えれば、現状の放射線レベルは重大な影響を及ぼさないのではないかと思っています。それに加え、足柄平野の自然放射線レベルの数十倍の環境で生活していても問題となるような障害は発生していない人たちが世界にはたくさんいるとの事実を信じて生活した方が個人的な精神的ストレスは少ないのではないか、と思って暮らしています。

 

【参考:単位】
・ ベクレルBq(放射線の発生能力):1Bqは毎秒の原子核の崩壊回数(1キュリーCi:3.7×1010Bq)
・ グレイGy(放射線の吸収エネルギー):1Gyは1kgの物質に1ジュールのエネルギーを与えた時
・ シーベルトSv(放射線の生体への影響力):Sv = Gy ×放射線加重係数(発がん性基準)
            (放射線加重係数:γ線・X線・β線:1、中性子線:5〜20、α線:20)

 

 

私が学校の先生たちに講演で言いたかったことは、次のようなメッセージであった。

『 これまでの災害は人為的であれ自然的であれ、一過性であった。原発災害は違う。解決策は今の私たちにもわからない。意図と違った事故が万が一にも起こった時に、その災害の解決策を未来の子孫に委託するようなあらゆる試みを、今生きている私たちはしてはならない』  のであって、

『 まず原発を全廃する時期を決め、それまでに原発に代わるエネルギー源開発に、日本の科学力・技術力・資源力・政治力・経済力を総結集し、実現することと思う。』

しかし、日本政府の現在の政策は、フクシマ原発事故の教訓を忘れ、経済性を最優先にし、原発を続々と再稼働する方針を貫いている。原発問題は“今”の「損か・得か」で判断するのではなく、そのことが人類の将来にとって「善いことなのか・善くないことなのか」で判断すべき事柄であると、思う。 判断すべき、次元が違うのだ。

« 第92話 私のチェルノブイリ、そしてフクシマ   その1 | トップページ | 第94話:白内障の話 その1 私と白内障 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。