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2016年8月

2016年8月 6日 (土)

第91話  「黒い雨」の話  v.2.2

第91話  「黒い雨」の話

 

今日は8月6日。  毎年意識して思い出す日。

以下の話は公式には発表されていないので、忘れ去らないうちに記録として残しておきたいと思うようになった。原爆の「黒い雨」の話である。

 

「黒い雨」は生命がいた証拠

1945年8月6日朝8時15分、広島に原爆が落とされた。その直後に、真夏の青空の下で「黒い雨」が降ったと語り継がれてきた。その「黒い雨」には大量の放射能が含まれていたと、これもまた語り継がれてきた。だが、その「黒い雨」はそのあとの雨に洗い流されてしまい、何も残っていないし、解析されたこともなかった、と聞いている。

そもそも、原爆が爆発した直後には激しい上昇気流が起こり、巨大な入道雲になる。地表付近の水蒸気が上空で水滴となり、激しい雨がふることは容易に想像がつく。だがその前、そしてその後のアメリカやソヴィエト連邦などによる何十回もの原爆や水爆の核実験でも、雨は降っても「黒い雨」は降らなかった。核実験は無人の荒野か、ビキニ環礁のような海で行われたからだ。地下核実験の場合もある。つまり、広島や長崎は爆心地近くに大量の有機物の存在あったから、焼けた煤も激しい上昇気流に巻き込まれ、雨が黒くなったのだ。いわば、「黒い雨」は爆心地に生命体がいた証拠であり、「黒い雨」は赤い血が姿を変えたのだと信じている。            

              声もなく 魂となりて 「黒い雨」

 

解析の依頼

その「黒い雨」の跡の残った白い壁が見つかり、「黒い雨」の跡に放射能があるかどうかを調べてほしいとNHK広島局から理化学研究所の岡野真治先生を通じて、私たちに依頼があったのは1985年5月のことだった。この白壁は爆心地近くの住宅に偶然にも保存されていた。広島市の高須にあるこの家にお伺いしたことがあるのだが、ふつうの和風の住宅である。住まわれていた八島さんの話によると、原爆の爆風で屋根全体がずれてしまい、直後に降った「黒い雨」が家の中に降り込んで、白い壁に「黒い雨」の跡が残った。その後、この白い壁を覆うようにして新たな壁を作り、増築して住まわれていたそうだ。忘れ去られていたその白い壁が40年ぶりに見つかったと言うわけである。送られてきた白壁は約40cm×60cmの長方形で、壁の芯となる木枠に土壁が塗られ、その上に白い漆喰(しっくい)が塗られていた。

当時、私たちは「イメージング・プレート」と名付けた新たな放射線画像センサーと、そのセンサーを用いたデジタル放射線医療画像診断システムを開発して2年ほどたっていた。解析依頼が私のところに来たのは、このシステムが従来の写真フィルムにくらべて桁違いに感度が高いとその道の専門家に知られていたからであろう。日常生活の環境で浴びているごく微量の自然放射能レベルでも容易に画像化できるほどの感度があった。気がつかないだろうが、私たちの周囲は自然放射線で充ち満ちているのだ。

もちろん私たちに来る前に理化学研究所で最新の放射線測定器で壁のサンプルからの放射能を計測していて、核種として人工の放射性同位元素であるごく微量なセシウムCs-137の存在が確認されていた。セシウムCs-137からは30年ほどの半減期で662KeVのガンマ線(光子)が常に放出されている。通常の医療用レントゲン写真撮影におけるX線(光子)のエネルギーは100KeV程度だから、それよりもかなり透過力が強いと言える。しかし「黒い雨」の跡に高性能の放射線検出器(シンチレーションカウンターやガイガーカウンター)を当てても、黒い雨から放射線がでているという直接の証拠は得られてない。一方、私たちの常識では、画像を目で見て判断する検出可能な限界値は放射線検出器のそれよりも10分の1以上も低いことがわかっていた。画像化によってその証拠がはっきりするはずであった。

 

露光実験

放射能サンプルと写真フィルムとを密着して、同じサイズの放射能分布の写真像を得る方法のことをオートラジオグラフィといい、得られた画像をオートラジオグラフという。放射能分布の“自画像”(オートグラフ)と言うわけだ。とにかく放射能が残っていたとしてもごく微量であって、実験室環境の自然放射能のノイズによっても意味のある画像が得られる画像化限界を想定し、サンプルとイメージング・プレート(タイプHR)4枚を「黒い雨」跡のある白壁サンプルと密着して暗箱の中にセットし、1985年5月4日の夕方から三昼夜おいて5月8日の昼頃までのおよそ3日半(84時間)のあいだ露光した。昼頃終われば、直ちにイメージング・プレートから画像を読み出す実験ができるからだ。

イメージング・プレートから画像読出システムで画像を読み出す際の読み出し感度も、医療用レントゲン写真撮影の400倍にした。通常の医療用レントゲン写真システムは、両面に感光層が塗布されたレントゲン写真フィルムを二枚の蛍光増感スクリーンでサンドイッチにして撮影される。放射線をいったん蛍光増感スクリーンで光に変換し、その光でレントゲン写真フィルムは露光される。X線撮影といっても、実際には光露光なのだ。このシステムによって、レントゲン写真フィルムで直接に放射線露光するよりも、約10倍の高感度化を図っている。つまり被曝線量が1/10になったと言うことだ。これは20世紀の初めの頃の今は無きイーストマン・コダック社の画期的な発明であった。

そのような次第で、レントゲンフィルム自体の感度はカメラで使う一般のカラーネガフィルムにくらべてもかなり高感度なのだが、さらにイメージング・プレートによる画像化はそのレントゲンフィルムにくらべて4000倍の感度で行われたことになる。もしもレントゲンフィルムで直接にオートラジオグラフを作るとなるならば、露光時間は3日半の4000倍の時間、つまり約38年かかる計算になる。現実にはこれは実現不可能である。

この画像化の実験の他に、放射線源がどのような核種なのかを推定するために、「黒い雨」の跡の上に40ミクロンの厚さのポリエチレンのフィルムを重ねた40から240ミクロンのステップ・ウェッジを作り、どの厚さから放射線が届かなくなるかとの露光実験を行った。これで放射線のエネルギーがおおよそ推定でき、核種の候補もわかることになる。同じ実験をむき出しになっている下壁でも行った。

下記に、「黒い雨」の跡の残った白壁と密着露光3日半後のイメージング・プレートによって得られた画像を示す。

Photo_20201004122401

黒い雨の跡には放射能が残っていた

写真の左側は壁の通常のカラー写真である。左の上には木の枠が見え、左上と左の下側は茶色の土壁が見えている。黒いはっきりした「黒い雨」の跡が2本、それよりも若干うすい筋が2本、そして薄いかすかな筋が何本も残っていることがわかるだろう。右側の写真はその放射線画像(オートラジオグラフ)である。明らかに「黒い雨」の跡に対応した黒い筋が検出されている。また土壁に対応した画像パターンは「黒い雨」の跡よりも濃度が高く検出されている。つまり土壁からは「黒い雨」の跡よりも強い放射線が出ているのだ。そうであるとしても、「黒い雨」の跡からは40年後になっても放射能が検出されたのである。

茶色の下壁からの放射線の主体は、自然放射性同位元素であるカリウム40からのベータ線(1.31MeV)である。カリウム40は土や岩石、コンクリートなどにふつうに存在している。大理石で囲まれた豪華な銀行のラウンジなどはカリウム40からの放射線で満ち満ちているが、それに気づく人はいないだろう。そして「黒い雨」の跡からはそれよりもエネルギーの低いベータ線が放射されていることがわかった。候補としては、ウラニウムU-235、セシウムCs-137、ストロンチウムSr-90である。いずれも核爆発に由来する。理化学研究所の結果から見て、セシウムCs-137が妥当であろう。

確かに「黒い雨」の跡からは放射能が検出された。検出されたのであるが、その放射能は通常の自然環境における土壌からの放射能レベル(1pCi/g)よりも、更に1桁低いレベルになっていると推定された。「黒い雨」が降ってから40年経って、放射能は減衰していてまったく問題ならないとの証拠の画像であるのだが、しかし「黒い雨」の跡にはまだ放射能が残っている証拠と強調されて、この画像は一人歩きしてしまった。

 

少ないノイズが画像検出を可能にした

画像が検出できたのも、ノイズを少なくするような次のような条件が幸運にも重なったためである。

1.最も大きな幸運は、「黒い雨」の跡がたまたま漆喰の上に残っていたことだ。漆喰の主成分は水酸化カルシウムであり、放射性同位元素を持つカリウムは含まれていない。一方土が塗り込められた下壁には大量のカリウムが含まれ、そこからベータ線が常に放射されている。しかし厚い漆喰の層に阻まれて漆喰の表面にはほとんど出てこない。放射線によるノイズの少ない条件の白壁の上に、「黒い雨」の跡がついたのだ。実に幸運であった。もしも土壁の上に「黒い雨」の跡が残ったとしても、検出されなかったであろう。

2.次に、偶然にも日本でも環境放射能が少ない場所で画像化実験をしたことだ。環境放射線には、土壌に含まれているカリウム、宇宙から来る宇宙線などの影響が大きい。地域差が大きいのは土壌や岩石である。箱根山の東側は箱根火山や富士山の噴火による火山灰が地表を構成しており、その火山灰にはカリウムが少なかったのだ。つまり、自然環境放射線によるバックグラウンド・ノイズが少ないとの条件が整っていた。これも実に幸運であった。ちなみに環境放射能レベルの最も低い県は青森県、次に神奈川県であり、最もレベルが高い県は福井県である。福井県は環境放射能レベルが高く、恐竜の化石がよく発掘されるほどの安定した岩盤で構成されているのであるが、アメリカのコロラド州デンバーも同じように岩盤が安定し、高い環境放射線レベルでかつ多くの恐竜が発掘されているとの共通する特徴を持つ。あわせて、そのような地域は原子力関連の施設が多いとの特徴を有していると指摘しておいてもいいだろう。結果としてそこは岩盤が安定している故に原発などの施設が作られたと言えるだろう。

3.イメージング・プレート自体に放射性物質が極めて少なかった。イメージング・プレートの主成分はBaFX:Eu(X=Cl,Br,I)組成を持つ輝尽性蛍光体なのだが、主要元素であるバリウムBaには、周期律表でBaの一周期あとの隣の元素であるラジウムRaがごく微量に含まれている。微量とはppbのオーダー、つまり10億分の1のオーダーであって、通常の感覚ではまったく純粋に近い純度である。だが、イメージング・プレートはRa中に含まれる更に微量の放射性同位元素ラジウムRa-226から放射されるアルファ線をも検出してしまう。つまりオートラジオグラフィの場合にはRa-226の存在はノイズとなって、画像検出限界を悪化させる。イメージング・プレートを開発する過程で、Baの不純物であるRaを徹底的に少なくした技術を開発したのだが、この技術開発も大いに貢献したと思う。

4.更にイメージング・プレートは実験を始める前にそれまでに蓄積した環境放射線の影響を除去できる特性を持っている。イメージング・プレートはそのまま放置しておくと土壌や周囲のコンクリートなどからの放射線、宇宙からの放射線などの環境からのノイズ、そしてごく微量とはいえ、内部に含まれるRa-226からのアルファ線によるノイズを蓄積する積分型検出器なのだが、検出器として使用する直前に赤色などの光を当てることによって、それまで蓄積した放射線ノイズを消去できるというすぐれた特性を持っている。一方、写真フィルムの場合は、保管中に受ける放射線の影響は蓄積され、黒化(かぶり)して残ってしまう。検出器の高性能化は感度をいかに上げるというよりはノイズをいかに減らすかが本質である。

 

NHK ドキュメンタリー番組 「黒い雨」とその後

この一連の画像化実験の様子とその「黒い雨」の跡の放射線画像はNHKテレビのドキュメンタリー番組の一部として収録され、1986年1月17日夜8時からのNHK特集「黒い雨」として放映された。そしてテレビ番組としての栄誉ある「ギャラクシー賞」を受賞した。この番組はその後何度か繰り返して放映されたので、多くの方がご覧になっているかもしれないし、あるいはこれからも放映される機会がかもしれない。

NHK特集「黒い雨」が放映された10年後の1995年6月になって、大きなパネルにした「黒い雨」の跡が残ったカラー写真とその放射線画像、およびNHK特集「黒い雨」の録画ビデオテープを広島平和記念資料館に寄贈した。この「黒い雨」に関する一連の仕事を経験することによって、原爆や放射能などに関する関心が以前よりも高くなったことはいうまでもない。

その後、この「黒い雨」の画像化実験の反省から、外部放射線の影響をより低減する「シールドボックス」を作ることになった。外側は放射能が特別に少ない戦艦「陸奥」の厚い鉄板を特別に購入して使い、その内側に厚さ5センチの特別に放射能の少ない鉛ブロックを海外から調達して囲み、さらにその内側を放射能が全くない厚いアクリル板で取り囲むという構造である。苦労して「シールドボックス」を開発することによって、環境放射線の影響力を1/10程度まで軽減することができた。このシールドボックスを使えば、「黒い雨」の放射線画像はさらにノイズが少ない状態で画像化でき、鮮鋭度を増すであろうと思う。だが、その実験を行う機会は訪れなかった。

毎年8月6日になると思い出す、私の 「黒い雨」 の話の顛末は以上である。

 

最後に

再び見ることはできないと思っていたNHK特集「黒い雨」が、今もなお You Tube (https://www.youtube.com/watch?v=LfHeaP-RRAU)で見られることがわかった。教えて下さった押本信夫さんに感謝します。そのNHK特集「黒い雨」を見ると、忘れていた話も出ていた。

たとえば、理化学研究所では白い壁のサンプルから「黒い雨」の残っている漆喰の部分だけを切り取り、酢酸液につけて漆喰を溶かし去り、残った「黒い雨」の物質をEPMAで元素分析をしていた。EPMA(Electron Probe Micro-Analysey)とは電子ビームを電子顕微鏡のように細く絞り対象物に当て、発生する特性X線の波長から元素を分析する装置である。これによって、「黒い雨」の粒子からは、ケイ素Siと鉄Fe、そして炭素Cが検出された。Siは土壌中の主要元素であり、Feは、アメリカの研究者によれば、原爆を遮蔽していた厚さ20cmの鋼鉄製容器(言うなれば原爆の本体“リトルボーイ”)に由来するといい、Cは煤であって燃え煙になった有機物である。

アメリカのオークリッジ研究所ではこの「黒い雨」の残った白い壁をもらい受け、都市に投下された原爆の貴重な資料として、地球規模で核攻撃が起こった時に予想される「核の冬」を検討するために解析を行ったようだ。11万ドルという予算を使い、原子炉を使って「黒い雨」の残留物を放射化し、そのごく微量元素分析を行ったようだ。だが、その解析結果は私は知らない。

 

<参考まで>  「シールドボックス」について

なぜ戦艦「陸奥」なのか。

戦後の製鉄産業における溶鉱炉では中に存在する溶融鉄の量を計測するために、その溶湯の中にごく微量のアイソトープを投入している。このため放射能に汚染されていない鉄は戦前にしか存在しなくなった。また太平洋戦争直前およびその後の冷戦時代において多数の核爆発実験が空気中で行われ、近年ではチェブイリやフクシマの原発事故により世界の環境は放射性物質で汚染された。戦艦「陸奥」は昭和18年に爆発事故を起こし沈没し、その船体の一部が引き上げられている希な例である。使われていた鉄材は放射能汚染のない貴重な鉄材であって、この 「シールドボックス」のように特殊な用途に再利用されている。

なぜ特別に放射能の少ない鉛ブロックなのか。

鉛はウラニウムなどの放射性物質が崩壊して最後に安定となった物質である。だから吟味して使用しないと、鉛自体のオートラジオグラフが簡単に作れるほど、鉛そのものが放射線源になる。従って「シールドボックス」には充分に“枯れた”鉛、検定書付きの鉛を探し出して使う必要がある。そのような鉛が産出される地域は世界的にも地質学的に充分古い地域に限られる。

なぜ厚いアクリル板で内面を囲むのか。

厚い鉄板と厚い鉛ブロックを透過してきた外部の放射線は最後には低いエネルギーのガンマ線あるいはベータ線になるのだが、アクリル板は純度高く製造できる上に、これらの放射線を吸収して更に特性X線を発生させたとしても、材料は炭素Cなどの低い原子番号の元素で構成されているので特性X線エネルギーが低く、アクリル板自体に再吸収される比率が高くなる。

 

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