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2013年12月24日 (火)

第79話 超未来の話 その1 今、我々は

第79話 超未来の話 その1 今、我々はどこにいるのだろうか


<はじめに>


何年か前に、突然に、ヒトが誕生してから社会がどのように移りわかってきたのかを一目で見るような絵を書きたくなった。つまり「人類学」という学問が管轄する数百万年間を一枚の小さな紙の上に描きたくなったのだ。


部屋の中にいろいろなモノが散らかっている状態をどうしようもなくなって一大決心して整理したくなるように、バラバラに孤立的に持っている知識をずーっと通して一つにまとめてみたいという気持ちが時々出てくる。そうやって不完全でも、そのものを含む全体の図を描き、上からそれを見下ろすとそれまでと違った見方や思考が自然とわき出てきたり、発想が思わぬ方向に展開したりすることをこれまでもよく経験してきた。何かが起こるかもしれないのだ。


今回もそうである。いろいろな過去の出来事をまとめていったところ、過去ではなく「超未来でヒトはどうなるのだろうか」などという大それた話に展開してしまった。私のイメージでは「超過去」とは宇宙のビッグバーンを始まりとするほどの過去であり、「超未来」とは地球自身の存在が危うくなるような未来のことだ。「超過去」のことは宇宙物理学のホットな話題なので情報はいっぱいあってそれなりの理解はできている。心配はないのだ。だが、「超未来」についてはさっぱりわからない。これまで考えてみたこともないのだ。


自分の人生や孫の世代よりもはるか先のどうでもいいような話なのであるのだが、過去を発掘しているうちに「超未来」におけるすべての“終わり”というか、すべての“始まり”が自分なりにはっきり見えてきた感じがした。古代ギリシャ人は「未来は目の前ではなく背中の後ろにある」と理解していたというのだが、それはこういうことだったのかと何となくわかったような気がした。そして、これまで経験したことのない、妙な、変な、感覚になった。不安とか恐れというよりは先が見えてきてホッとした何かだった。これまで経験はないのだが、「悟り」という感覚はそのようなものなのかと思ったりしたものである。


<どうやって描こうか>


最初に言ったように、あるとき急に一枚の人類史図を書きたくなったのである。人類学というのは、物理学や化学といったふつうの自然科学の知識とはちょっと毛色が変わっていて、新しい証拠が見つかるたびにそれまでの定説がしばしば突然に極端に変わっていくという性格の知識である。しかし最近では発掘による証拠はほとんど出尽くしているため新たな証拠はなかなか出てこない。幸運にも新たな証拠が出てくるまでは、その期間を利用して個人のかなり強い思い込みで仮説を勝手に主張できる自由度の高い学問領域のように素人目には見える。それだけに各説が乱れ飛んでいて、おもしろい話が多い。でも人類学は過去の話を記述している。知りたいのは未来の話。だが、未来を知るには過去を知らないといけない。過去から演繹して未来を覗きたいと思う。


ともあれ、ヒトが誕生したのは、つまりヒトがサルと分かれて二本の足で歩き始めたという時期は、現在の人類学ではふつう700万年前ということになっている。そこから実に長い700万年という期間をA4の一枚の紙に書くには、時間軸を対数にして書くしかない。なぜ対数にしたのかというと、それは自分なりに根拠がある。それは、ずっと以前、老いも若きも男女を問わず多くの人たちが年末近くになると「アッという間に一年が過ぎた」という話が気になって、その感じたその一年の長さが実際に何ヶ月なのかを知りたくなった経験があったからだ。


その時は、「ヒトは時間の間隔を実際の物理的な時間差ではなく比率でとらえ理解しているのであって、変化の割合が同じならそれを同じと感じている」こと、つまり「ヒトは過去や未来の時間軸を対数で考える」との仮説のもとに、それを求める計算式を案出し、まあまあの結果となった(「アッという間の一年とは」第54話〜第63話)。だから今回の場合でも、過去や未来の時間軸は対数で考えた。描いてみて、おかしかったら直せばいい。


そのように時間軸を対数で考えると、対数としては何でもいいのだが、ふつう使っている10を底とした常用対数がよかろうと思う。現在から100年前、1000年前、1万年前、と10の二乗ごとに順繰りにさかのぼっていき一千万年までの時間軸をとれば、人類誕生から現在までの時間スケールはA4の一枚で表現できる。未来に対しても、とりあえず現在から100年後、1000年後までを考えておけばいいだろう。現在に対して過去と未来の時間の長さは非対称となるが、未来の情報は過去ほどには蓄積されていないから仕方がない。問題はその「対数人類史図」の中に最初に何かを描くかである。描ければ、それを基準にして様々なものをパッチワークのようにはめ込んでいけばよい。作業になってくる。


<今、我々はどのような時代に生きているのか>


過去の一千万年前から現在を経て未来の一千年後という長い時間スケールで確実に理解できることは、自分自身が生きている「今」しかない。それに、あれこれ考えてしまうと動けなくなってしまうから、アプリオリに言い切ってしまった方がいい。とすると、思うに、現在のヒトは「近代工業社会」に特徴付けられる文明の中で生きていると言っていいだろう考えている。もちろん他の見方、他の視点は当然あるのだが、大量生産・大量消費・大量廃棄の社会を特徴とする文明の中にいることは多くの人たちの実感である。


こうとらえると現在のヒト社会は、産業革命が勃興し、近代技術が発展して、それまでになかった「工業」というヒトの営みが新たに生まれ、それが成熟していくことによって成立してきたことは素直に理解できる。また産業革命以前の技術と産業革命以後の技術の大きな違いは、近代の技術が「自然科学」の支援を受けるようになったことだろう。その結果、技術はより強力になり、汎用性が著しく増し、発展がより加速されてるようになったわけだから、この自然科学の誕生が「近代工業社会」の始まりであるとしても、大きな間違いでもなかろう。


我々が現に生きている「近代工業社会」の始まりがおおよそわかってくると、次に問題となるのはこの「近代工業社会」がいつまで続くのだろうかということである。それがはっきりしないと「近代工業社会」というヒト社会の“かたまり”を「対数人類史図」に描けない。その終わりおよび新たな時代の始まりを予感させくれる様々な次のような事実がある。これらから、おおよその始まりと終わりを推定できるように思う。


第1に、はっきりしていることは、大量生産・大量消費・大量廃棄を特徴とする現在の「近代工業社会」が何となく終わりに近づきつつあるのではないかという漠然とした感じを多くの人たちが持ち始めているという事実である。地球温暖化の議論もそうである。資源の枯渇や化石燃料をやめて新たなエネルギーを探索しようという議論もそうである。無意識にせよ地球は無限に大きいことを前提にしていた社会から、地球は有限であることを前提にせざるを得なくなった社会への転換期にあることも確かである。そのようなことを考えると、「近代工業社会」は遅くとも数十年先から百年先の間に、何かわからないが新たな時代へと交代していくことは間違いないのではないかと思う。


第2には、我々が生きてきた20世紀の終わり頃に人類の歴史の中で画期的な出来事が起こったという事実は意外と知られていない。その前とその後では社会の目指す方向が変わると思うほどの出来事だと私は思っているのだが、世の中ではそのような指摘がほとんど見られないのはなぜなのだろうか。あまりにもスケールが大きくて、自分たちの生きている時間軸には何の影響も及ぼさないから、無用な情報だと無意識に思っているのだろうか。


どのようなことかというと、人口増加率(%/年)はヒトが誕生してからほとんどゼロに等しかった時代が驚くほど長く続いてきたのに、およそ1万年前に農業という技術をヒトが“発明”すると同時に人口増加率は単調に増加するようになった。さらには産業革命によって近代工業社会が誕生すると、人口増加率はロケットのように急上昇をはじめた。その人口増加率が最大値(およそ2.0%)に達したのが20世紀の後半、正確には1975年頃なのである。それ以降、増加率は減少の傾向にある。増加率は減っていくとはいえ、もちろん人口の絶対数はなお増加していく。しかし、人口が常に増加していくことを前提にしていた社会と、人口が定常状態になるうことが前提になるこれからの社会とは明らかに質的に異なるものだと思う。人類史図の中で、大きく移り変わっていく端境期はまさに現在であると私は思う。(下図をクリックすると大きくなります)


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第3には、近年になってバイオサイエンスやコンピューターサイエンスの急速な発展とその社会への急速な影響がひしひしと感じられるようになったという事実である。情報革命とかバイオ革命と言われているのはその現れである。これらの学問領域はいずれも20世紀の中頃に誕生したのであるが、これまでの自然科学、つまり物理学や化学を中心としたモノやエネルギーを対象とする「物質科学」とは本質的にパラダイムが違う新たな自然科学、つまり「情報科学」と「生命科学」である。これまでの「物質科学」は究極には自然界に存在するモノや現象を発見し、自然界におけるその法則を見つけようとする自然科学であったのだが、「情報科学」と「生命科学」は違う。法則を見つけようとはしていない。


例えばDNAはこれまでの物質科学から見れば一つの分子であるが、しかし生命科学におけるその本質はDNAに書かれている遺伝情報、つまりプログラムとかシナリオの内容を極めるのであって、物質科学のようにモノを極めることではない。「情報科学」もそうであって、これまでの「物質科学」とは目指している目的が違う。これらの新たな自然科学に支援された新たな技術が次々と産み出されるようになって新たな産業が興り、これからの社会は大いに変化して行くであろうと、これまた多くの人たちが漠然と考えているらしいことも、また事実である。(下図をクリックすると大きくなります)


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この他にも、何か別の新しい社会へ移っていくような様々な兆候が現れているように思う。(「何が変わったのか」第48話〜第53話)


<とりあえず、まずやってみよう>


以上のように、現在は「近代工業社会」の終わり頃にあって、同時に新たな時代の始まりにあるという認識はどうも正しいように思うのだ。そうであるとしたら、現在の「近代工業社会」の始まりはおよそ500年ほど前の自然科学誕生の頃としておこうと思うし、未来におけるその終焉は数十年から百年ほどの先であろうと決め、それを基準にして「対数人類史」を描いていけるだろう。


途中で間違っていることに気がついたら、やり直せばいい。

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