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2013年8月 6日 (火)

第77話 右撚りと左撚りの話 その1

第77話 右撚りと左撚りの話 その1


今、「右」と「左」で頭の中が大混乱している。


これから話したいことは、藁(わら)で作られた縄(なわ)や、さまざまな繊維で作られているロープの表面の模様、「撚り」の方向、つまり「右撚(よ)り・左撚(よ)り」についてである。「糸を撚(よ)る」ことや「縄を綯(な)う」ことは現在ではほとんど誰もしなくなったから、これらの言葉はもう死語に近いのかもしれない。その縄(なわ)やロープを見たときに、それが「右撚り」なのか「左撚り」なのか、直感的にわからなくなったのだ。


<縄文時代の縄の「右撚り・左撚り」>


いつごろから縄(なわ)やロープの「右」と「左」が気になりだしたのかというと、いつだったか江戸東京博物館に寄ったとき、「発掘された日本列島」という恒例の特別展示を見たことがきっかけである。会場の出口付近に売店が出ていて、参考になりそうなさまざまな書籍や資料が屋台の上に置かれてあった。何かないかと眺めているうちに「右撚り・左撚り」とおもしろそうなタイトルがついた資料を見つけて買ってきた。「縄文の土器文様と紐の撚り」との副題がついている。この資料は、山形県長井市にある「古代の丘 資料館」の学芸員の方が作り上げた貴重な非売品の資料である。ロープの結び方の本は何冊か持っているのだが、「なわ」やロープそのものの作り方の参考資料はこれまで持っていなかった。(下図をクリックすると大きくなります)

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縄文時代とは縄(なわ)を押しつけて文様とした縄文土器が発掘されるから縄文時代というのだとあらためて気づくと、「なわ」はまさにこの時代を象徴する最重要な考古学的対象物の一つであることはよくわかる。「ジョウモン」とは「なわ」の文様のことを言っているのだと頭でわかっていても、身体で覚えていない。日常生活では「ジョウモン」は一語になっていて、「なわ」は別の単語として頭に入っていた。だから縄文土器を見ても、そこから元の「なわ」を想像することすらしなかった。想定外というのはまさにそのようなことを言うのだろう。


1976年にアフリカで360万年前の人類の足跡が発見され、そこから当時のさまざまなホモ・エレクトスたちの様子がわかってきたことを思えば、縄文土器に残された縄文はもっと評価されていい考古学遺物であろうと思うのだ。なぜなら日本は世界で最も古い土器が発見されている地域であって、「なわ」自体は腐って残っていなくても、どのような「なわ」を彼らが使っていたのか、さらに言えば彼らがどのような生活をしていたのかを文様から具体的に知ることができると思うのだ。


縄文土器の研究を通じて縄文人の文化や社会を探究するには、「なわ」の研究が極めて重要であることも、聞かされてみればよくわかる。だから押しつけるために使った「なわ」の筋がどちらの向きになっているか、つまり「なわ」の撚(よ)った方向が「右」だったのか、「左」だったのかを知ることは縄文土器研究イロハのイの字であることもわかる。ややこしいのは、土器の表面につけられた「縄文」は「なわ」の形が写し取られているのであるから、もとの「なわ」の表面模様とは左右が逆の形になっている。それは当然考慮するとして、研究を始めるには最初にどのような「なわ」が「右撚り」であるのか「左撚り」であるのかをまずは定義して決めておく必要がある。


その定義は「縄文学の父」と言われた山内清男(やまのうち すがお)さんという考古学者が今から80年ほど前に決めたらしい。彼は縄文土器の文様を再現しようと「なわ」を綯(な)うところからはじめたいわば実験考古学の先達とも言える学者である。そもそもその分野を開拓しようとする先駆者は何事も初めてなので、その分野のさまざまなモノゴトの名前を付けたり言葉を定義する優先権を持っている。彼は植物の蔓(つる)や巻き貝で一般的に呼ばれている巻きの方向や、木ねじとの類似性、つまり右にねじ回しで回すとねじは前に進むのだから、木ねじのねじ山と縄の表面模様がおなじな方向ならば「右撚り」の「なわ」にしようとの定義である。(下図をクリックすると大きくなります)

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細長い紐状のものを縄(なわ)といっても、縄文時代の「なわ」は稲作をしていなかったのだから、とうぜん「わら」を使ってはいないのだろう。木や草の蔓(つる)などの自然に生えている植物の繊維を使ったはずであるが、ともあれ最初はその繊維を束ねてねじり、ある太さに仕上げるところから始まる。その時に「右撚り」か「左撚り」が必ず決まる。ふつう右利きが多いから、右手の親指と人差し指指先で繊維を丸めようとすると、上図でいうと「左撚り(L)」のようになりやすい。もちろん左手で撚ったり、当然ながら意図して撚れば「右撚り」でも「左撚り」でも作ることができる。


その最初の状態の細い紐(ひも)の少なくとも2本を用いて、「右撚り」か「左撚り」にして最初の「なわ」が作られる。さらにはその「なわ」の少なくとも2本を「右撚り」あるいは「左撚り」にして、さらに太い「なわ」を作っていく。ふつうは前の段階の「なわ」の撚りの方向と逆の撚りをかけて次の段階の太い「なわ」を作って行く。必ずしもそうではなくても「なわ」は作ることができるので、「右撚り」と「左撚り」の組み合わせの「なわ」は無数にある。従って、「なわ」の圧痕からもとの「なわ」の状態を再現することは複雑なパズルを解くように極めて難しいであろうことは想像に難くない。それぞれの初期の段階での「なわ」とその圧痕は下図のようになる。(下図をクリックすると大きくなります)


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<飛騨の山里における縄の「右撚り・左撚り」>


縄文の「なわ」の理解はそれはそれで進んだのであるが、それから数年経って、この縄文時代の「なわ」の研究における「右撚り」「左撚り」の定義とまったく違う「なわ」の撚りの定義に出くわしたのだ。


あるとき、飛騨の山間の地にある美並村(現在は岐阜県郡上市)にある「美並ふるさと館」を尋ねた。ここには「円空ふるさと館」があり、円空の木彫像が多数展示されていると知ったからである。なぜそのような場所に多くの円空仏があるのかというと、「美並ふるさと館」は星宮神社の隣にあるのだが、円空が円空と名乗るよりも前の若いときに、円空はこの星宮神社の神主さんの家に世話になり、木彫の才能を認められ、木像を彫り始めたりのだそうだ。江戸時代の始めのことである。その円空が得度し、円空と名乗ることになった粥川寺は現在の星宮神社の隣にあったのだが、明治の廃仏毀釈でお寺は廃寺となり、その跡地に「美並ふるさと館」そのものが建っているのである。まさに円空ゆかりの地であった。


「美並ふるさと館」の館長さんが熱心に説明して下さった円空の木彫のことはさておき、話は「なわ」の「右撚り・左撚り」のことである。「美並ふるさと館」にはまた各地でよく見かけられる郷土資料館とも言うべき「美並生活資料館」が併設されていた。来たからにはついでに見ておこうという程度の気持ちで見ていたのだが、住民の皆さん方が熱心に力をこめて作り上げた雰囲気がよくわかるなかなか見応えのある郷土資料館であった。


その展示資料の中に、美並村のご老人たちが美並村の古くからの伝統として引き継いできた藁(わら)の文化を残そうとまとめた実に興味深い小冊子「藁」があった。ぱらぱらとめくってみると、「わら」を綯った「なわ」の「右撚り・左撚り」の話もでているのではないか。欲しい。どうしても欲しいと思い、無理なお願いとは思ったのだが、館長さんに頼み込んだ。しかし手元にはもうないという。ところが館長さんは何かと調べ上げ、後日その貴重な小冊子を送ってきて下さったのである。あとで知ったことなのだが、その館長さんは実は星宮神社の神主さんであり、円空の面倒を見たのはご先祖さんであって、1300年も続く家柄の西神頭(にしごとう)さん,その人であった。(下図をクリックすると大きくなります)


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美並村のご老人たちが協力して作り上げたその力作資料「藁(わら)」によると、美並村では「なわ」は「右縄」と「左縄」に分かれていて、神事用には「左縄」が使われ、一般用には「右縄」が使われているという。「左縄」は「左撚り」に読み替え、「右縄」は「右撚り」と読み替えてもいいであろう。最終の形が「左縄」になっている理由は、最後の撚りを「左撚り」にしないと「左縄」にならないからであり、「右縄」の場合はその逆であって、「右撚り・左撚り」の呼称は合理的であり、納得できるものだ。下図にその写真を示す。(下図をクリックすると大きくなります)


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右方向とか左方向、右巻きとか左巻き、右撚りとか右撚りなどなど、右や左がついた“ものごと”を示す言葉は実にあいまいである。川の右岸・左岸は川下の方向を見た場合であり、船の右舷・左舷は進行方向を向いた場合である。川上を向いていたり、船の後ろを向いていたら、右手側は左岸、左舷を示すことになる。暗黙でもよいのだが、何かの視点を定めて、それが共有化されていないと、お互いに右も左もまったく逆に理解している場合がしばしば起こることになる。未来は必ずしも目の前にはない。"Back to the Future"と言うのではないか。背後にあるかもしれないのだ。


縄文土器研究の「なわ」と美並村の「なわ」では、まったく同じ撚りの方向の「なわ」なのに、一方は「右撚り」といい、他方は「左撚り」という。どちらも納得できる理由はあるのだが、いったいどちらが本当なのだろうか。正式な定義はあるのだろうか。


どのように考えたらいいのだろうか。(続く)

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